紫悠の空

現代のおなご。

「消耗が激しい自担」

「帝劇に想いを馳せる」の中で記述したように、私は自担である紫耀さんは、とても消耗が激しいアイドルだと思っています。

 

バレエ漫画「Moonー昴 ソリチュード・スタンディングー」の中に「サプライ(供給)してもなくならないダンサー」という言葉が出てきます。私はかつて、舞台に立つということをしていた人間ですので、この「サプライする」ということがどのようなことか、何となくですが分かるような気がするのです。

 

舞台を作るということ、そして舞台の上で役を生きるということは、その作品の中に自分の一部を切り取って、落とすということだと思っています。舞台と、その観客に向かって、自らを「サプライする」。とても大変な作業です。

 

芸能という仕事においては、何も舞台に限ったことではないと思います。CDを出すにしろ、コンサートを開催するにしろ、雑誌に載るにしろ、バラエティに出るにしろ、何をするにも、作品の中に、番組の中に、自分を削いで、落とすことが必要なのではないかなぁ…と。

 

紫耀さんも例外ではなく、コンサートや舞台の度に、他の多くの芸能人と同じように自分をファンに「サプライ」しているでしょう。しかし、彼はこの「サプライ」するということにおいて、とても消耗が激しい人だと思っています。

 

ジャニーズ・フューチャー・ワールド博多座公演中に出演したラジオでも「人の倍くらい食べても顔が痩せる」 と話していた紫耀さん。舞台期間中に痩せるのは、最早当たり前のことになりつつあります。肌荒れが目立つようになったり、髪の毛を抜いたり。大きな仕事がある度に、ファンは心配してきたようです。

 

「サプライ」する量が増えると、痩せたり、目に見えるトラブルに悩まされる紫耀さんは、とても消耗が激しいのだと思います。

 

この「サプライすると消耗が激しい」 ということは、紫耀さんがこれからアイドルとして生きて行く上で、大きな大きな困難を招くかもしれません。アイドルは、ファンに自らをサプライしてなんぼです。

 

もしかしたら、「サプライ」 すると早くなくなるという性質は、紫耀さんのアイドルとしての致命的な欠落と言える。…かもしれませんね。

 

でも、その危うさこそが、紫耀さんのあの儚さに繋がっているのだとしたら。触れると壊れてしまいそうな、あの雰囲気を作っているのだとしたら。

 

一概には欠落とも言えないのも確かです。

 

だから私は今日も、就寝前に思うのです。

消耗が激しい自担が、どうか次も無事に舞台に立てますように。

彼が削ぎ落としたものが、伝えたい人にちゃんと伝わりますように、と。